江戸幕府における第15代将軍にして、最後の将軍となった徳川慶喜。その最大の後ろ盾となっていたのが、第121代天皇にあたる、「孝明天皇」である。攘夷派の代表として多大な影響力を持った孝明天皇は、幕末におけるキーマンでありながら、語られることが少なく、実態はあまり知られていない。 いったい、どんな人物だったのだろうか。第2回となる今回は、孝明天皇の最大のライバル、関白の鷹司政通(たかつかさ・まさみち)との戦いについて紹介しよう。

全文は、こちらになります。

以下が、徳川慶喜の支持者「孝明天皇」開国嫌った真の理由 / 皆さんの感想になります。

コメント数、21

  1. 1 *********# 2021-07-25 07:37:59
    当時は外交経験がある人がいないため、条約のありかたすら理解されていない状態
    孝明天皇の不安は、ある程度の正確性を持っていた
    →事実、通商条約などは不平等条約として締結され、それはその後40年以上も解消できないまま維持された

    これを知らない現代の日本人は多い
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  2. 2 新羽ず。 2021-07-25 07:18:41
    徳川家慶は四十歳で無く六十歳で亡くなってるのだが、年齢を書くなら確認した方が良い。
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  3. 3 brs***** 2021-07-25 07:10:40
    長いし良く分からないので、どなたか「開国を嫌った真の理由」を3行以内で説明してください。
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  4. 4 yahootaro 2021-07-25 07:56:26
    日米修好通商条約を”不平等条約”と解している向きもあるが、必ずしもそうではない。
    例えば、関税率は当初は適正に設定されていた(物価の上昇も無く、輸出税で財政が潤う)が、下関戦争の賠償代わりに輸入税率を低くさせられて、物価が上昇してしまった。
    長州が勝者になったから、「何でもかんでも幕府が悪い」が定着してしまった部分はあるだろう
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  5. 5 差別のない社会へ(サッカー評論家) 2021-07-25 07:46:13
    安政5(1858)年、幕府は勅許(天皇の許可)を得ることなく、アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスとの間に日米修好通商条約を締結。

    しかも批判した人たちを安政の大獄で弾圧。
    倒幕されるでしょこれ。
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  6. 6 並の呑み助 2021-07-25 07:51:01
    孝明天皇がヴィルヘルム2世、鷹司政通がビスマルクて感じだな。
    自分が辞めたら困るでしょ?て、若い主君を恫喝したつもりが、予想に反し、なら辞めていいよて流れになって失脚したのも、鷹司とビスマルクはそっくり。
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  7. 7 uzb***** 2021-07-25 07:38:10
    鷹司家だけじゃない。
    近衛家も西園寺家も天皇の血を引いている。
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  8. 8 htd***** 2021-07-25 07:55:07
    明治維新のとらえ方も変わるかもしれない。
    幕府軍vs薩長軍の争いは単純な政権争奪戦だった。戦力的には幕府軍の方が圧倒的に優勢だったはずだが、鳥羽伏見の戦いでまさかの敗北。
    薩長軍は「尊王攘夷」という錦の御旗を立てて徳川家から政権を奪おうとした戦い。「尊王」はともかく、本当に「攘夷」思想に燃えていたのか。
    そうだとしたら、徳川幕府を倒して政権を奪取した薩長軍が、クーデターもなしに「攘夷」の旗を、なぜ簡単に下ろせたのか。
    「シャボン玉飛んだ。屋根まで飛んで 壊れて消えた」
    つまり「攘夷」は単なる討幕のための「大義名分」にすぎず、シャボン玉のようなはかない「大義」だったと思われる。
    そして政権を奪取した明治政府は「攘夷」どころか欧米列強に追い付け追い越せと「富国強兵殖産興業」を新たな旗印にして軍国主義への道を走りだす。
    日本の軍国主義への傾斜のルーツは明治維新にあった。
    2・26事件はその延長。
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  9. 9 runa 2021-07-25 07:48:40
    平安時代の藤原摂関家と同じ感覚で朝廷を支配していたら、最後には逆襲されて追い出された感じの太閤ですね。
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  10. 10 dro***** 2021-07-25 08:02:09
    昔からよくわからないと思っていたのだが、なぜ幕末期には条約締結に勅許が必要ということになっていたのだろう?
    孝明帝が通商に賛成だの反対だの言えるというのも、そもそも勅許が必要という共通了解があればこそだろう。
    しかし、この段階では大政は奉還されておらず、日本の政治は全面的に征夷大将軍に委任されていた。また禁中並びに公家諸法度で朝廷は政治への介入が厳しく制限されていたはず。
    それにもかかわらず勅許の話になるのは、幕府側が朝廷の権威を必要として実質的に力関係が変化したからなのか、それとももともとの大政委任の範囲に外交が入っていなかったのか、そのあたりが分からない。
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  11. 11 ハゲを笑う薄毛 2021-07-25 07:58:05
    西洋的な国家統治システムもなく、
    権威は天皇に、権力は幕府にある異様な国に対して
    ペリーは混乱せずに適切に交渉してるのが凄いと思う。

    最終的には明治維新となり、江戸幕府の終焉とともに
    古き日本は一掃され西洋化されていく訳だけど、
    近代化を幕府主導で行っていたら、どんな国になってたんだろうね。
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  12. 12 atm****** 2021-07-25 07:45:43
    当に今が

    傍若無人=バッハ
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  13. 13 aki***** 2021-07-25 07:55:28
    タイトルの答えは、海外事情をご存知でなく、水戸からの外国嫌いを煽り立てる情報のみでご判断されたから。従来の定説通りで、新味は一切ないですね。
    孝明帝には、薩長系勢力による毒殺説もあり、一部の歴史家もあり得た事と考えている。これは日本史最大のミステリーの一つ。
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  14. 14 hir***** 2021-07-25 07:50:44
    自分の記憶違いじゃなければ家慶は40で亡くなってないヨね。還暦を超えて亡くなったのでは??
    折角良いテーマなのに間違えはアカンよね。
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  15. 15 yoi***** 2021-07-25 08:03:10
    当時は天皇も朝廷も
    実権はなかったと
    思われるのですが
    ペリー来航以降
    幕府への不満から
    尊皇攘夷の思想が台頭し
    存在感を取り戻していった
    感じですかね?
    しかし「王政復古」以降は
    存在感は大きくなったとはいえ
    実権はなかったのは
    終戦前の昭和天皇に至るまで
    変わりはなかったのでは…?
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  16. 16 had***** 2021-07-25 07:51:00
    欧米列強が鎬を削る世界情勢をまったく理解してなかった凡人という印象。幕藩体制が制度疲労を起こし、深刻な物価高騰や財政危機、外交的な懸案が山積みだってのに何ら政治的な動きを見せず、神頼みしかできなかった。
    終いには邪魔者扱いで毒殺されたくらいだもんな。明治天皇のカリスマ的な統治力とは大違いだよ。
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  17. 17 ina***** 2021-07-25 07:54:01
    そもそも外交権は幕府がもっているのだから朝廷に許可を得る
    必要はない。それなのにお伺いを立てて公家や天皇を調子に乗らせたのが全ての敗因。
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  18. 18 mbk***** 2021-07-25 07:58:13
    孝明天皇は長州に暗殺されました。
    明治天皇は天皇家の血統ではありません。
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  19. 19 ayu***** 2021-07-25 08:20:50
    孝明天皇を悪く言う意味ではなく、どう言う教育を受けて来たかと言う事に尽きるんじゃないかな?
    岩倉達が明治天皇に対して近代帝王学を徹底した事は今にも活かされる結果となったと思う。
    必然と言えばそれまでだけど何処かで舵を切らなきゃいけなかったのは間違いなく、当事者達には半端ないエネルギーが必要だった事でしょう。
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  20. 20 nar***** 2021-07-25 08:25:49
    当時の外国嫌いは外国に対する無知からきている。ペリー来航時、彼の肖像画は烏天狗そのものだったし、サスケハナ号は顔のついた化け物だった。オランダ人とその船はリアルに描かれているので、明らかに恐怖目線で描かれているのがわかる。それから年月が経つと外国人の肖像画は人間になり、船の絵もリアルになる。
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  21. 21 suz***** 2021-07-25 07:59:32
    孝明天皇が生きていたら、明治維新はなかった。アーネスト・サトウが書き残しているように、暗殺されたんじゃないのか。菅首相が天皇を敬っている様子はないように、岩倉具視も同じだろう。伊藤博文だって、天皇は操り人形ぐらいにしか考えていなかった。
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